ゆったりと

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忘れられない日

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1月23日 忘れようとしても忘れられない日 だって 1 2 3 だから。。。
12年前のこの日 同居の義父が亡くなりました。今日は調度十三回忌です。

嫁いだ時からの 同居でした。義父は主人の実の父ではなく 親戚にあたります。いずれはこの人の最後までをお世話しなくてはならないと 覚悟していても内心私は看護婦にはむいていないと思っていました。だからどうなるのかなぁ?なんてなんとなく思ったりもしていました。

現実は 入院中は病院のDrや看護婦さんにお世話になりましたが それ以外99%私一人の介護でした。今のように訪問介護の制度も確立していない時でした。
入院中は家族の付き添いはいらないというたてまえが 言われる頃でしたが、高齢者が入院すると痴呆に陥ることがあるので 家族の方が付いてくださいと言われました。

入院1日目から病院に泊り込み 朝帰宅して家族の朝食や家事をすませ また病院に。そしてまた夕方には帰宅して夕飯を作り その後は病院に行って泊まる。という毎日の繰り返しでした。
でも義父は2日目から痴呆の兆しを見せ始めました。主人が一度泊まるのを交代してくれましたが気に入りません。だからその後はやはりずっと私が行くことに。

そうこうしていましたが 12月半ばくらいに自分から「退院したい」と言い始め Drは「お正月もひかえているし 退院したら世話が大変だから このまま入院していたら」と勧めてくださいましたが 本人の希望もありひとまず退院しました。

帰宅してからの義父は4時間ごとにトイレに行きたがります。夜も昼もです。いつの場合も1度トイレに行くと20分は出てきません。夜中に起こされて連れて行きストーブにあたって20分待つそれから 部屋まで連れて行って身の回りの世話をして寝かせる。
日常の買い物も30分以内に帰宅するのが 原則となりました。
介護に当たっている時は いつ終わりなのか見えない 永遠に続きそうな気もします。
でも投げ出すことも出来なくて 毎日を過ごしていました。

1月22日あたりから 本人が再入院を希望しました。しかも「違う病院に」と。心当たりに電話してお願いしましたが 院内感染が流行っているからとことわられ 結局同じ病院に入院させていただくことになりました。
その頃の父は なんとかトイレまでは歩けるものの段差などを考えると とても自家用車までたどり着ける状態ではなく 私一人で連れて行ける状態でもありませんでした。ですから 「サイレンを鳴らさないで来て下さい」と救急車をお願いしましたが 出動の時は鳴らさないといけないとかで サイレンと共に来て下さいました。

救急車で運ばれたおかげで (順番待ちの外来の方には申し訳なかったですが)諸検査を手際よくすすめていただきました。退院した時と状態はさほど変化無く ただ脱水状態を起こしていて これは家庭では無理で 近所の開業医さんに依頼書を書いていてくださっていたそうですが、開業医さんでは点滴は受けたことはありませんでした。

とにかく ひとまず落ち着いて病室で点滴を受けることになったので 私はいったん帰宅して入院に必要な物を準備したりしていました。
まもなく病院から電話が。。。。様子がおかしいとのしらせでしたが。   
その時にはもう亡くなっていたようです。

あとから こうしてあげればよかったとか 後悔することの無いように 最善を尽くしてあげたいと思ってきました。心残りがあるとすれば 最後の時に側にいてあげられなかったことでしょうか。

阪神大震災の次の年の1月23日のことでした。
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by rbaruto | 2008-01-23 16:03 | 特別な日
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元盲導犬候補生と暮す毎日の中から 気ままに感じたことや思ったことをボツボツ記していきます


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